歴史的なダイヤモンドには逸話がつきものだ。
ブルー・ダイヤモンドも然り。
今日、最大にして最も美しいブルーダイヤモンドは、ワシントンD.Cにあるスミソニアン博物館にあり、
その希少な美しさと石にまつわる悲劇は多くの観客の足をとめている。
だが、その悲劇が実は人々の好奇心を煽るための嘘、作り話だったとしたら・・・。
ブルー・ダイヤモンドこそ悲劇の主人公である。
ダイヤモンドの謎―永遠の輝きに魅入られた人々 (講談社プラスアルファ新書)
ホープ・ダイヤモンド
持ち主を不幸にする宝石と聞けば誰もが見てみたいと思うだろう。
呪いのダイヤモンドとして有名なホープのダイヤ。
これは持ち主の一人であったヘンリー・フィリップ・ホープ卿、ホープ家にちなんでつけられた名である。
このブルーダイヤの最初の持ち主はフランスの太陽王ルイ14世。
ダイヤモンドが縫いつけられた衣装に身を包むほど、宝石愛好家だった国王は
1668年、宝石商ダヴェルニエから買った110カラットの濃く青いダイヤモンドを、その4年後に約50カラット削り落とし、インド式のカットから美しいハートシェイプ(67.13ct)に変えた。
太陽王の喉元につけられた青いハートのダイヤモンドは、ヨーロッパ中の話題となり、国王のブルー・ダイヤモンド=フレンチ・ブルーと呼ばれるようになる。
フレンチ・ブルーはフランスで三代に渡り、受け継がれた。
ルイ15世の勲章にはめ込まれ、王妃の帽子に飾られ、毅然たる輝きを放った後、
ルイ16世の財宝となったその美しい宝石は、フランス革命とともに姿を消した。
1792年、民衆の暴動の最中、ヨーロッパ最高の財宝がおかれる国家の倉庫から、盗賊団によって奪われたのだ。
ブルー・ダイヤは盗賊団の一人、カデ・ギヨーによってパリからルアーブル、ロンドンへと渡り、宝石商へ売られた。
だが、フレンチ・ブルーは盗品である。
そのまま売ることはできない。
証拠隠滅のために行われた行為は、67カラット以上あるそのブルー・ダイヤを砥石車にかけ、約25カラットも削り落とすというものだった。
これこそが悲劇である。
研磨され、姿を変えたブルーダイヤは、以降、所有者を次々と変えていく。
まず、1830年、ヘンリー・フィリップ・ホープに9万ドルで買われた。
「ホープ・ダイヤモンド」の誕生である。
ホープ家はそのブルー・ダイヤを30年間所有したが、1901年、財政難により、ダイヤを手放す。
次にオスマン帝国のスルタン、アブドゥル・ハミド2世が所有。
革命の後、王位を追われ、ブルーダイヤは主の元を離れる。
その後、パリでピエール・カルティエの手に渡り、ブルーダイヤは無色のダイヤモンドネックレスに埋め込まれ、
1910年、新聞王の妻、エヴァリン・ウォルシュ・マクレーン夫人に18万ドルで売却された。
最後に、夫人の死後、
1947年、ハリー・ウィンストンが約18万ドルを出して所有者となり、100万ドルの保険に入れ、1958年、ワシントンのスミソニアン協会に寄贈したのだ。
ダイヤモンドが人を呪うわけではない。
悲劇は人間がつくりだしたものだ。
実際、スミソニアン博物館の担当部長J・ポスト博士は、「この石にまつわる悲劇はすべて宝石商の作り話である」と言っている。
ダイヤモンドは人間の欲望や虚栄心が起こす歴史を見てきただけなのだ。
フランス革命に散ったマリー・アントワネット。
オーストリア・ハプスブルグ王室からフランスへ嫁ぐ際、持参したハートシェイプのブルーダイヤモンドも同じだ。
処刑前、アントワネットは侍女にそのブルーダイヤを託す。
後に、それは民間人が所有し、1983年、クリスティーズ・オークションにかけられるが、売買不成立で今日に至る。
この宝石も、王妃の生きた歴史と薄命の悲劇を見てきただけだ。
そして、歴史的ダイヤモンドや宝石は、現代の我々に300年前の歴史を見せている。
ホープ・ダイヤは呪いの宝石などでは決してない。
ブルー・ダイヤモンドの悲劇を人間の欲望が生んだのだ。
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